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岡山地方裁判所 平成5年(ワ)973号 判決 1999年3月15日

原告

池畠和則

被告

藪田克彦

ほか一名

主文

一  被告藪田克彦は、原告に対し、金三二七一万六六七六円及び内金二九七四万二四三三円に対する平成五年一一月二二日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

二  被告藤田病院こと藤田琢二は、原告に対し、金三二六九万六四八一円及び内金二九七二万四〇七三円に対する平成五年一一月一三日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その三を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

四  原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

五  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告らは、原告に対し、各自金一億一二七〇万六二〇一円及び内金一億〇二四六万〇一八三円に対する、被告藪田克彦については平成五年一一月二二日から、被告藤田病院こと藤田琢二については同月一三日から支払済みまで年五パーセントの割合による各金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行宣言

第二事案の概要

本件は、交通事故により左下肢等に傷害を負い、この傷害が原因となって左膝関節を切断し、左下肢の膝関節以下の部分を喪失した原告が、交通事故の相手方に対し、交通事故における過失に基づく不法行為責任を理由に、交通事故直後に原告の治療を行った医師に対し、医療過誤に基づく不法行為責任を理由に、それぞれ左下肢の膝関節以下の部分を喪失したことによる逸失利益、慰謝料等の損害賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実等

1  交通事故の発生

(一) 平成二年一二月一〇日午前八時一五分ころ、岡山県邑久郡長船町土師一一九六―一町道上において、被告藪田克彦(以下「被告藪田」という。)運転の普通乗用自動車(車両番号岡五七て一六五八。以下「藪田車両」という。)と、対向してきた原告運転の原動機付自転車(車両番号長船町か二〇二。以下「原告車両」という。)が衝突した(以下「本件交通事故」という。)。

(二) 原告は、本件交通事故により、左脛骨近位端骨折、左膝窩動脈血流不全、左脛骨腓骨神経不全麻痺及び血流障害等の傷害を負った。

2  原告は、本件交通事故当時一八歳(昭和四七年三月三〇日生)で、岡山理科大学一年に在学中であった(甲一、二八、弁論の全趣旨)。

3  本件交通事故後の原告の入通院の状況及び原告が左膝関節を切断するに至った経緯は、概ね次のとおりである(甲三ないし一六(枝番号を含む。)、一九、二一、二二、弁論の全趣旨。以下、原告の治療開始から左膝関節を切断するに至るまでの経緯全体を「本件医療事故」という。)

(一) 原告は、平成二年一二月一〇日、本件交通事故の直後、被告藤田病院こと藤田琢二が開業している藤田病院(以下、藤田病院の施設全体を「藤田病院」といい、被告藤田琢二個人を「被告藤田」という。)に救急車で運ばれて入院し、同日、レントゲン検査等を行い、左下肢の大腿から足部までをギプス固定した。原告は、その後、左下肢に疼痛を覚え、その旨を看護婦に伝えた。原告は、同日夕方、貸与された松葉杖を使用してトイレに行き、同日夜、左下肢の疼痛のためベッドで就寝することができず、貸与された車椅子の上で就寝した。原告は、翌朝、このことを看護婦に伝えた。同月一一日、原告は、左下肢の疼痛がひどかったため、ベッドで横になることができず、被告藤田に対し、その旨を伝えると、同人から「事故の後だから痛いのは当たり前だ。」と言われた。原告は、看護婦に対し、左下肢の挙上を頼んだが、挙上してもらえなかった。原告は、松葉杖を使用してトイレに行く途中、被告藤田から「よう歩けるようになったなあ。」と言われた。原告は、同日夜は注射によってようやく就寝した。同月一二日になっても、原告の左下肢の疼痛がひどく、ベッド上に座って足を垂らしたままにしていた。原告の左下肢の指の動きは鈍かった。同日午後九時過ぎころ、原告のギプスの石膏を一部解放するが、左下肢の指が動かず、原告は、ベッドから降りることを禁止され、左下肢の挙上が行われた。

(二) 同月一三日朝、原告のギプスの石膏がさらに解放され、レントゲン検査を行った後、原告は、救急車で訴外岡山西大寺病院(以下「西大寺病院」という。)に運ばれ、同日、入院した。原告の左膝から遠位部の腫脹が著明で、左足指に運動障害が認められた。直ちにギプスが除去され、鋼線牽引が施行され左下肢の挙上が行われたが、左足背動脈の触知が弱く、原告は、ベッド上で安静にするよう指示された。原告の左足指は動かず、足先が冷たく、左下肢の疼痛があった。同月一八日、原告の左足が冷たくなり、左足の裏が紫色に変色した。左足先は腫れがなくなり、指の間に隙間ができていた。同月一九日、原告に対し、血管造影検査が実施され、原告の左下肢に動脈閉塞が認められた。

(三) 同月二〇日、原告は、訴外岡山労災病院(以下「労災病院」という。)に転院し、平成三年七月一〇日まで、入院した。平成二年一二月二八日、原告は、労災病院で、壊死した左下肢を左膝関節から切断し、左膝蓋骨を摘出した。原告は、労災病院を退院後、平成三年七月一一日から平成四年一月一八日までの間、同病院に通院した(実通院日数一六日)。平成四年一月一八日、症状が固定した。

二  争点

1  本件交通事故における被告藪田の不法行為責任の有無及び原告の過失割合

2  本件医療事故における被告藤田の不法行為責任の有無

3  被告藪田が、原告の左膝関節切断による損害について責任を負うか否か。

4  本件交通事故及び本件医療事故(以下併せて「本件各事故」という。)による原告の損害額

第三争点に対する判断

一  争点1について

1  証拠(甲一、二、丙一ないし四(枝番号を含む。)、原告、被告藪田)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 本件交通事故は、別紙図面のT字路交差点から北方向へ延びる道路(以下「本件道路」という。)上の<×>地点で発生した。本件道路は、信号機のない右T字路交差点の東西方向に延びる県道から、北へ延びる町道であって、特段の速度規制はされておらず、本件道路の幅員は、約三・七メートルであり、さらにその左右の外側に幅員約〇・五メートルの蓋付の側溝があった。その当時、本件道路付近の天候は晴天であったが、濃霧で視界が前方約五〇メートルまでしか見通すことができない状態であり、また、右道路の路面は乾いた状態であった。

(二) 被告藪田は、本件交通事故発生当時出勤途中であり、右事故発生直前、藪田車両を減速しながら、前記県道上を進行させ、時速約二〇キロメートルの速度で西方面から左折し本件道路に進入した。その際、被告藪田は、フォグランプを点灯させていた。被告藪田は、別紙図面の<1>地点まで進行したとき、前方の<ア>地点(<1>から約四三・三メートル北へ離れた地点)で、原告車両が南へ進行してくるのを視認した。被告藪田は、原告車両が藪田車両を回避して原告車両進行方向の左側(本件道路東側)へ寄ってくれるものと思い、警笛を鳴らすこともなく、右速度のまま、別紙図面の<2>、<3>地点と北進した。

(三) 原告は、本件交通事故発生当時通学途中であり、右事故発生直前、本件道路上を、時速約三〇キロメートルで南へ進行していた。原告は、右進行中、いわゆるフルフェイスのヘルメットを着用していたが、ヘルメットのライナー部分が曇ってしまい、前方を注視することが困難な状態になったことから、やや速度を落とし、左手で右ライナーを開けたところ、右ヘルメット内に風が入ってきたため、目を閉じて頭部を右横に向けたまま進行し、別紙図面の<イ>、<×>地点と進行した。

(四) 原告と被告藪田は、衝突直前、いずれもブレーキをかけ、被告藪田は、ハンドルを右に切ったが、間に合わず、別紙図面の<×>地点で衝突した。衝突後、原告車両は藪田車両の左横に横転し、原告自身は、藪田車両のボンネットにいったん乗り上げて路上に落ちて転倒した。その後、原告は、救急車で藤田病院へ運ばれた。

2  右認定事実によれば、本件交通事故において、被告藪田には、原告を発見した際、警笛を鳴らして自車の存在を原告に知らせるべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、原告が回避してくれるであろうと考え、漫然と本件道路上を進行した過失があるものと認められる。他方、原告においても、本件事故直前、ヘルメットのライナーが曇ったのであれば、直ちに進行方向左端(本件道路東側)等の安全な位置に停止して、これを整えるべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、原告車両を進行させながら右措置を採り、前方を注視しないまま、漫然と原告車両を進行させ、進行方向右側(対向車進行方向)へ進入させた過失があるものと認められる。

そして、本件交通事故当時の天候、道路の状況、本件交通事故の態様、その他諸般の事情を総合考慮すれば、本件交通事故にかかる原告の過失割合を七〇パーセント、被告藪田の過失割合を三〇パーセントと認めるのが相当である。

二  争点2について

1  証拠(甲三ないし二二、三九、四〇、乙一ないし八、一一ないし三六、三九、鑑定の結果、証人田辺滋樹、同三枝康宏、被告藤田、原告)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 平成二年一二月一〇日、本件交通事故後、原告が、藤田病院へ入院した際、被告藤田は、原告の左膝下腿の腫脹、左下肢の膝、下腿の疼痛を認め、脈拍が正常であること、麻痺がないことを確認し、さらに、血流障害の有無を確認するため、両側の足背動脈を触知して、血流があることを認めた。その後、レントゲンを撮り、左下肢にギプス固定を行った。また、同日中、原告が左下肢痛を訴えたことから、数回、鎮痛剤が投薬されたが、原告の入院中の様子をみる藤田病院の看護婦も、原告に、右疼痛の他に足先のしびれ等の循環障害を疑うような事情があるとは認識しなかった。

(二) 同月一一日、被告藤田は、原告の足の指にチアノーゼがないことを確認したが、原告の看護記録(乙五)には、しびれが時折あることが記載され、疼痛については、訴えがないと記載された部分もあるが、同日深夜には軽減せずとの記載がある。同月一二日になり、藤田病院の被告藤田以外の医者による原告に対する所見として、左下腿浮腫がみられるものの、循環の障害はないとのことであったが、同日午後八時ころの所見では、左足指の動きが不良であり、ギプスをカットすることとした。そして、左足背動脈が弱くなったものと認められ、被告藤田は、血流障害、神経麻痺の存在を疑い、これらの治療として、浮腫を取るために、ギプスを十分開放するとともに投薬を行った。

(三) その後、同月一三日午前三時ころ、原告の左下肢の疼痛は一時やわらいだが、右疼痛がなくなることはなく、左足指の動きが不良となり、少し冷感があるようになった。この段階で、被告藤田は、血流障害を原因として疑い、左足背動脈を触知してその血行を確認したが、弱いながら、血流は認められた。そこで、被告藤田は、血流の改善が思わしくないことから、原告を転院させることを考えた。被告藤田は、原告が右血流障害等を疑わせる症状の他に骨折の症状も併せ有していたことから、藤田病院での治療は困難であると考え、念のため、原告の左下肢のレントゲンを撮って骨が動いて血管を圧迫していないことを確認し、原告を整形外科のある西大寺病院へ転院させることとした。西大寺病院への紹介状に、足背動脈のふれ方が不良であることとともに、左脛骨骨折と腓骨神経麻痺の病名を記載して、西大寺病院へ送った。この時点で、被告藤田は、血流障害も強く疑っており、この点を明らかにするための血管造影を行うことを西大寺病院に期待していたが、そのことは右紹介状には記載しなかった。

(四) 平成二年一二月一三日、原告は、西大寺病院に入院し、前記争いのない事実等(第二事案の概要)3(二)に記載のとおりの経過で、結局、ギプスを除去した以外は、特段、積極的な治療を受けることなく、同月一九日になり、血管造影によって、動脈閉塞が認められ、同月二〇日、労災病院へ転院した。

(五) 藤田病院の診療科目には、外科、胃腸科、肛門科、口腔器科、脳外科があり、整形外科はないが、被告藤田は、手術をしない範囲で整形外科の患者も診ており、手術の必要な整形外科の患者が来た場合は、西大寺病院へ転院させていた。西大寺病院は、本件医療事故当時、血管障害の有無を検査するための血管造影に慣れた医者がおらず、原告が転院してきても直ちに血管造影を行うことができる状況ではなかった。

2  一般に、交通事故等に伴う骨折等の傷害が生じた場合、血管に損傷が生じる可能性が高く、右骨折等の診療を担当する医者としては、右のような可能性があることに注意して診療行為を行うべきであり、交通事故直後の診療開始時においては血管損傷を疑うべき事情が見あたらなかったとしても、診察及び治療の経過に伴って、血管損傷が存在する蓋然性が相当程度認められるようになった段階に至れば、直ちに、診療を担当する医者が自ら血管外科の措置を採るか、あるいは、それが困難であれば、患者を血管損傷の診療を可能とする血管外科の専門医のところに転院させるべき注意義務を負っているものと解される。本件においては、右認定事実によれば、被告藤田には、平成二年一二月一三日、原告の左下肢における血流障害の存在を強く疑い、原告を西大寺病院へ転院させることを考えた時点において、原告を血管外科の専門医へ転院させるべき注意義務があったものと認められる。そして、証拠(証人田辺、被告藤田)及び弁論の全趣旨によれば、労災病院あるいは岡山大学医学部附属病院等においては、血管外科の専門医が居たものと推認され、さらに、証拠(鑑定の結果、証人田辺、同三枝、被告藤田)及び弁論の全趣旨によれば、右時点において、速やかに血管外科の専門医に受診すれば、原告の左膝関節切断にまでは至らなかった可能性があると認められることからすると、被告藤田が、右時点において、原告を血管外科の専門医のいない西大寺病院へ転院させた行為は、右注意義務に違反したものであり、被告藤田の右行為には過失があるものと認められる。

3  被告藤田は、原告を西大寺病院へ転院させたことをもって前記注意義務を尽くした旨を主張し、鑑定人三枝康宏の鑑定結果において「西大寺病院ではなく、血管外科専門医のいる病院に(転院させる)べきであったと思われる。」という記載に続き、「ただし、血行障害を疑った時点においても、足背動脈は触知可能であったため、やはり血管損傷の確定診断は不可能であろう。」とされていることを指摘するが、被告藤田自身が、当法廷において、血流障害の存在を疑った時点で、血管外科の治療ができる大学病院等に原告を転院させていれば、左膝関節の切断には至っていなかったという趣旨の陳述をしており、右鑑定人も、証人としての尋問に際し、右時点において、岡山大学医学部附属病院等で、血管造影により血管損傷を発見して血行再建術を施した場合の原告の左下肢の生存可能性を必ずしも否定していないことからすると、被告藤田が、血流障害の存在を疑った時点において、血管外科の専門医がいない西大寺病院へ原告を転院させたことは、前記注意義務を尽くしたものとは認められず、被告藤田の右主張は採用できない。

4  さらに、被告藤田は、原告の転院後の西大寺病院の過誤を指摘し、被告藤田の診療行為と原告の左膝関節切断との因果関係が認められないかのような主張をするが、仮に本件医療事故において西大寺病院に何らかの過失行為があったとしても、その過失行為と被告藤田の前記過失行為とは、原告の左下肢の治療における過失行為という点で客観的に関連共同し、共同不法行為となるべき性質のものと認められるから、たとえ本件医療事故において西大寺病院に何らかの過失行為があったとしても、それによって被告藤田の前記過失行為と原告の左膝関節切断との因果関係が否定されることはない。

よって、被告藤田は、前記過失行為により原告の左下肢の膝関節以下の喪失による損害を生じさせたものといえ、その他の過失行為を検討するまでもなく、原告に対する不法行為に基づく損害賠償責任を負う。

5  もっとも、証拠(鑑定の結果、証人田辺、同三枝)及び弁論の全趣旨によれば、そもそも、原告の左膝関節切断は、本件交通事故により原告が被った左膝窩動脈損傷が原因となって生じたものであって、被告藤田の前記過失行為が原告の左膝関節切断を引き起こしたと評価できるとしても、これにより生じた損害のすべてを被告藤田の責任として捉えるのは公平を欠くものであって、前記一、二で認定した諸事情を総合考慮すれば、原告の過失割合を七〇パーセント、被告藤田の過失割合を三〇パーセントとして、被告藤田の負担割合を捉えるべきである。

三  争点3について

被告藪田は、被告藤田及び西大寺病院の過失行為を指摘して、本件交通事故と原告の左膝関節切断との因果関係がない旨主張するが、交通事故の加害者と前記二4で認定したとおり、本件交通事故により、原告の左膝窩動脈損傷が生じ、この傷害を原因として本件医療事故が引き起こされ、結果的には、右傷害を直接の原因として原告の左膝関節が切断されるに至ったものと認められるのであって、仮に本件医療事故において被告藤田及び西大寺病院に何らかの過失行為があったとしても、その各過失行為と、被告藪田の本件交通事故における過失行為とは、原告の左下肢に対する侵害行為という点で客観的に関連共同し、共同不法行為となるべき性質のものであるから、たとえ本件医療事故において被告藤田及び西大寺病院に何らかの過失行為があったとしても、それによって被告藪田の本件交通事故における前記過失行為と原告の左膝関節切断との因果関係が否定されることはない。

四  争点4について

1  被告らが責任を負うべき損害

(一) 治療費

証拠(甲七、八、一一、一二、一五、一六)及び弁論の全趣旨によれば、本件各事故による原告の傷害の治療費として、西大寺病院で金六万七五九二円、労災病院で金八四万九三〇五円それぞれかかり、右合計金九一万六八九七円が治療費の損害金として認められる。

(二) 入院付添費及び入院雑費

証拠(甲五ないし一五)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件各事故による傷害により、平成二年一二月一三日から同月二〇日まで西大寺病院、同月二〇日から平成三年七月一〇日まで労災病院に入院したことが認められ、原告が本件各事故により被った傷害の内容、程度及び本件各事故の態様等の事情に照らせば、右入院期間については付添費を損害として評価するのが相当であり、右付添費としては一日当たり金五〇〇〇円、入院雑費として一日当たり金一二〇〇円が相当であることが認められ、金一〇四万五〇〇〇円(入院付添費)と金二五万〇八〇〇円(入院雑費)の合計金一二九万五八〇〇円が損害金として認められる。

(三) 通院交通費

証拠(甲一三)及び弁論の全趣旨によれば、原告の症状固定日(平成四年一月一八日)までの労災病院への通院日数は一六日間であり、原告は自家用車を利用して通院していたところ、その一回の費用は金五〇〇円かかるため、金八〇〇〇円が通院交通費の損害金として認められる。

(四) 義足代

証拠(甲一七、一八、三一の一、三一の二)及び弁論の全趣旨によれば、原告は本件各事故により被った左膝関節切断の障害により左膝義足が必要となること、その耐用年数は三年であること、右義足の一回の購入における原告の負担金は金一万一五五〇円であること、原告の最初に義足を装着したとき、原告は一九歳で、その余命年数が五七・六六歳であって、ほぼ二〇回の取り替えが必要とされることがそれぞれ認められ、これらの事実によれば、金二三万一〇〇〇円が義足代としての損害金と認められる。

(五) 通学用自動車の購入費

証拠(甲二五)及び弁論の全趣旨によれば、本件各事故による左膝関節切断のため原告は自動車を使用して通学する必要が生じたことが認められ、右代金相当額金一〇四万円が損害金として認められる。

(六) 家屋改造費

証拠(甲二六、二七)及び弁論の全趣旨によれば、金三八万一一〇〇円が家屋改造費の損害金と認められる。

(七) 後遺障害による逸失利益

証拠(甲二八、二九)及び弁論の全趣旨によれば、原告の左膝関節離断の後遺障害は、後遺障害等級四級五号に該当し、労働能力喪失率は九二パーセントと認められ、賃金センサス平成二年男子旧大、新大卒全年齢平均の年間給与額は金六一二万一二〇〇円であり、受傷時原告は一八歳で、二二歳から六七歳まで就労可能であったとすると、金八二三四万九四八二円(金六一二万一二〇〇円×〇・九二×(一八・一六九-三・五四六))が原告の左関節離断の後遺障害による逸失利益としての損害金と認められる。

(八) 傷害慰謝料

原告の本件各事故により被った傷害の内容、程度、原告の西大寺病院及び労災病院での入通院期間等、諸事情を総合考慮し、金二五〇万円を傷害慰謝料としての損害金と認めるのが相当である。

(九) 後遺障害慰謝料

原告の左膝関節離断の後遺障害の内容、程度、その他諸般の事情を総合考慮すれば、金一四五〇万円を後遺障害慰謝料として認めるのが相当である。

2  被告藪田のみが責任を負うべき損害

証拠(甲四)及び弁論の全趣旨により認められる、藤田病院における治療費金三万六四〇〇円、藤田病院での入院日数四日間(本件交通事故日の平成二年一二月一〇日から同月一三日まで)に相当する入院付添費(一日金五〇〇〇円を相当として金二万円)及び入院雑費(一日金一二〇〇円を相当として金四八〇〇円)の合計金六万一二〇〇円は、被告藤田の前記過失行為の前に生じたものであるから、被告藤田の過失との間には因果関係が認められず、被告藪田のみが責任を負うこととなる。

3  被告藪田に対する請求

(一) 被告藪田に対する関係では、前記1の合計金一億〇三二二万二二七九円に右2の金六万一二〇〇円を加えた、金一億〇三二八万三四七九円が原告の損害額として認められ、これに対し前記一2で認定した過失割合を乗じた金三〇九八万五〇四三円が、原告から被告藪田に対して請求しうる損害額となる。

(二) 弁論の全趣旨によれば、被告藪田は、原告に対し、本件交通事故による損害てん補として金一二四万二六一〇円を支払っており、前記請求しうる額から同額を控除した金二九七四万二四三三円が原告の被告藪田に対する請求の認容額となり、弁論の全趣旨によれば、右認容額の一〇パーセントに相当する金額を弁護士費用としての損害金と認めるのが相当であるから、同額に一〇パーセント上乗せした金三二七一万六六七六円が、原告から被告藪田に対して請求しうる最終的な認容額となる。

4  被告藤田に対する請求

(一) 被告藤田に対する関係では、前記1の合計金一億〇三二二万二二七九円が原告の損害額として認められ、これに対し前記二5で認定した過失割合を乗じた金三〇九六万六六八三円が、原告から被告藤田に対して請求しうる損害額となる。

(二) 前記3(二)のとおり、被告藪田は、原告に対し、本件交通事故による損害てん補として金一二四万二六一〇円を支払っており、被告藤田が負担すべき原告の右損害額も、被告藪田と連帯して責任を負担すべき性質のものであるから、右損害額から右支払額を控除した金二九七二万四〇七三円が原告の被告藤田に対する請求の認容額となり、弁論の全趣旨によれば、右認容額の一〇パーセントに相当する金額を弁護士費用としての損害金と認めるのが相当であるから、同額に一〇パーセント上乗せした金三二六九万六四八一円が、原告から被告藤田に対して請求しうる最終的な認容額となる。

五  なお、原告は、弁護士費用相当損害金について遅延損害金を求めていないから、右相当損害金については遅延損害金を付さないこととする。また、被告藤田が求める仮執行免脱宣言については、相当でないからこれを付さないこととする。

(裁判官 小森田恵樹)

別紙図面

交通事故現場見取図

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